<R4.5.2> 管理栄養士
私の楽しみは、子供が小さい時はテントを張ってキャンプに行くことでした。子供たちが大きくなると、家族や友人と旅行に行くことでした。しかし、コロナ禍になり旅行にも行けなくなり、四季折々の果物を食べる楽しみを見つけました。春は苺、久山にある安河内農園の“あまおう”は絶品です。“あまおう”は、赤くて・大きく・うまいとのキャッチフレーズですが、私が今まで食べていた“あまおう”はスッパおうで、あまり好きではありませんでした。しかし久山のAコープに出ていた安河内農園の“あまおう”を食べたら、赤くて・大きくて・うまい、の“あまおう”でした。残念ながら今年はいちご狩りのお客さんが多く、出荷できていないとのことでした。夏はスイカ。熊本の植木のスイカがやはり一番です。今年も初スイカ食べました。値段がめちゃめちゃ高くて、買ってきた旦那に「馬鹿じゃない?」と言った。食べたのにゴメン。秋は何といっても巨峰。田主丸の巨峰は絶品です。お気に入りの農園があり、毎年買いに行っています。早い時間に行くと密にならずにおいしい葡萄が買えます。最後に冬。冬はコタツで食べるミカンです。ミカンと言えば愛媛です。5・6年前、愛媛に行ったとき、農家直販の店で買ったミカンはとても美味しかったです。なんの品種かは昔なので覚えていませんが、美味しかった事だけは覚えています。以前のような生活に戻るのは厳しいかもしれませんが、少しでも元の生活に戻ればいいなと思います。
<R4.5.9> 診療放射線技師
私の最近の気晴らしで、楽しんでいることをお話しします。東区西戸崎の先端にあたる浜辺でナイトサーフフィッシングをして気晴らしをしながら、対岸に見えるネオン夜景を見て楽しんでいることです。ウェーダーという、水に濡れないようになっているツナギを履き、釣りを安全に楽しむ際に着用する、浮力のあるフローティングベストを羽織り、真っ暗の海の中に腰まで浸かりながら釣竿を振る。静けさしかない浜辺は波の音だけ。対岸には西区の小戸あたりから天神、博多、東区アイランドシティまでの光のネオンに魅了され、ここにナイトフィッシングに来られる方は少なく、この夜景を独り占めしながら、またこれを眺めながらの釣りは私の気持ちを穏やかに、無心にしてくれます。魚が釣れなくても気づけば四・五時間はここにいます。釣れた日には心のリフレッシュと美味しい新鮮な魚で身体も喜び、心身ともに最高の気晴らしと楽しみとなります。
<R4.5.23> 看護師
濃厚接触者となり自宅待機中は自分も感染するのではないかと心配していましたが、抗原、PCR検査とともに陰性であることを確認し、ホッとしました。狭い自宅の中で感染しなかったのは毎日の換気・手指消毒・マスクの着用という感染予防の基本であったと思います。まだまだコロナは続いていますので、感染・再感染しないよう感染予防に努めていかなくてはいけないと実感した期間でした。
<R4.5.30> 看護師
みなさんは仏様の表情をまじまじと眺めたことはありますか?多くの仏様は“アルカイックスマイル”という表情をしています。やさしい表情で自分を護ってくれている様な思いになりますが、その反面、自分に余裕がなくせっかちになっていたり、イライラしている時に眺めるときびしく諭されているようにも感じます。自分の心をうつしてくれる、心を改めさせてくれる表情のようです。仏様の写真を至る所に貼り眺めると安心できるのではないかと思う日々です。
<R4.4.4> 理学療法士
現在臨床の場で幅広く用いられている認知症の評価スケールといえばHDSR(長谷川dementia scale revisedリヴァイズデゥまたは長谷川式認知症スケール)と呼ばれる検査法が浮かぶ方は多いと思います。このHDSRは1974年に公表され、1991年に改訂されました。開発したのは認知症医療の第一人者で、様々な功績を残された精神科医の長谷川和夫先生です。長谷川先生はフォーラム等で「人が人を支えるということを忘れてはならない。」「支え合うことで認知症になっても大丈夫な社会が構築できる。」と力説されています。また早くから「パーソンセンタードケア」の理念を掲げ、現在の認知症ケアの主流となっています。その長谷川先生は2018年自ら認知症であることを告白されました。2年ほど前にNHKスペシャルで「認知症の第一人者が認知症になった」という特集が組まれ思わず見入ってしまいました。私はこの番組の中で印象に残っていることが2つありました。一つ目は長谷川先生がデイサービスで感じた”孤独”を口にしたことでした。長谷川先生はデイサービスを利用するようになったのですが、馴染めず利用を控えるようになりました。かつて自身が提唱したデイサービスに通わなくなったのは印象に残りました。二つ目はかつて先輩医師からの言葉で「君が認知症になって初めて君の研究は完成する。」との言葉を紹介されたことでした。前者は認知症と向き合う人間としての素顔と後者はメディア等に発信し続ける研究者としての素顔がみられたように思いました。特に研究者としては当事者となったことで、認知症に関わるすべての専門領域を自身で検証し、日々の生活そのものが研究であり、私たち医療者にとっての教材になっているようにも思えました。そして2021年11月13日に老衰により永眠されました。92歳でした。その番組で長谷川先生は以前と今では見える景色は変わらない、夕日が沈んでいく時、富士山が見えるとき、変わりはしない。と言われていました。認知症がいかに進行しても「自分らしさ」は損なわれることはなく、その人の尊厳を守っていくことの重要性を感じました。私たちもいずれは必ず介護を受ける側となり、介護が必要になる時がやってきます。個人で今、患者に出来る「パーソンセンタードケア」を行いつつ、認知症になっても安心して暮らしていける地域・社会の構築をこの病院から発信していけるよう日々精進していきたいと思います。
<R4.4.11> 社会福祉士
この4月、私は入職して26年目の春を迎えました。その大半を泯江苑で過ごし、今の在宅部門へ異動して3ヵ月が経ち、新人さんで言う試用期間が終わったところです。在宅部門は、一番職員が少なく、そうそう収益も大きく上がらない地味な部署で、法人からするとなかなかスポットが当たりにくい、どんなに頑張っていても陽が当たらない部署だと思ったのが第一印象です。ですが、自宅訪問の現場に出向けば、そこは自分以外に変わりがきかない体当たりの時間。自分の発する言葉や行動が全てで、常に緊張と責任感を背負って利用者やご家族に向き合っています。そして、部署との連携がスムーズにいってこそ成り立つ大事な部署です。これまで泯江苑が私の代名詞というぐらいに知名度もあり体に馴染んでおりましたが、異動の時に「在宅部門は法人の要だ」とおっしゃっていた院長先生の言葉が、今ではまさにそのとおりだなと実感しています。私自身がまだ慣れていないこともありますが、やっていることは本当に大変。大変で苦しいけど大事。地域から法人をつないでいる重要な部署だと言えます。まだまだ駆け出し3ヵ月ですが、今後も皆さんの協力をいただきながら大事な在宅部門の一員として努力していきたいと思います。
<R4.4.11> 看護師
私は、20年以上篠栗に住んでいますが、今まで篠栗四国八十八カ所霊場の参拝をしたことがありませんでした。昨年、当院の新人研修の引率をすることになり、南蔵院までの道のりの下見に歩いてみました。すると普段車で何気なく通り過ぎる道も違ってみえ、木や草花など景色を楽しみながら歩き、参拝すると心が穏やかになりました。今はコロナ禍で、外出を控え旅行にも行けない日が続いていますが、休みの日に時々篠栗参りをしてリフレッシュしています。まだ八十八カ所全部まわれていませんが、マイペースで歩いて参拝できたらいいなと思っています。
<R4.4.25> 看護師
最近は夜勤明けで1度寝ると起きれない事が多くなりました。嫁さんが入院し、手術して帰ってきた翌日の事になりますが、嫁さんの家族がうちの子達を送ってきた時、「火事すごかったね!」と言われました。外に出ると消防と救急と地元の消防団や野次馬が何件か先に集まっていました。火事が起きていることに夫婦揃って寝ていたので全く気づきませんでした。これが隣だったり、自分の家だったら危ない目にあっているなと思いました。皆さんもこれから梅雨・台風・災害に気を付けてください。
<R4.3.7> 看護師
私は昨年、還暦を迎えました。すると徐々に残りの人生の事が気になるようなりました。丁度その頃、お笑いタレントの田村淳さんの母である久仁子さんの話を耳にしました。久仁子さんは、2020年8月に72歳、肺癌で亡くなっています。看護師だった久仁子さんは「延命治療はしない」と決め、淳さんはその意思を尊重して母の旅立ちを手厚く見送ったそうです。私が感銘したのは、久仁子さんが亡くなる前から自分の葬式の段取りを決めていたり、遺品を何一つ残さず、指輪などの装飾品は事前に形見分けをして、残された夫や子ども達が困らないよう全てを済ませてあったことです。私は昔から物を捨てられない性分ですが、これを機に断捨離を始める事にしました。断捨離のポイントは今の自分に必要か必要じゃないか、自分軸で物事を見るように変える事だそうです。先日、主人から部屋を掃除されるたびに自分の物が無くなっていると言われ、そういえば、必要な物、不要な物、保留の物と分けるときに、主人に関する物が一番捨てているなぁと気づきました。主人には今度、春物のセーターを買ってこようと思っています。人生いつどうなるか分かりません。これから主人と一緒に少しずつ断捨離を続けていこうと思います。
<R4.3.14> 検査技師
先月、医療費控除の確定申告をしてきました。というのは、2年前に歯と歯のすきまを矯正しに歯科に行ったところ、矯正する前に歯茎の状態が悪いのでそれを治療してからということになりました。歯石を取るのに歯と歯茎のすきまの歯周ポケットが深く歯石を取るのに器具が入らないということで、歯茎を切って歯石をとって歯茎を縫合するということを上の歯3回、下の歯3回、計6回に分けて行って、そのあと矯正し、差し歯も換えたりして年間30万ほどかかりました。去年コロナ禍で行けなかったので、今年、初めて医療費の控除の手続きをしに税務署に行ってまいりました。今はひどくならないように3ヵ月に1度は歯石を取ってもらっています。皆さんも歯は大切にしてください。
<R4.3.28> 看護師
今年は子供たちの節目の年になりました。長男は1月に成人式を迎え、次男は3月17日に小学校を卒業し4月からは中学生になります。長男は障害を持って生まれましたが、彼のペースで成長してくれてあっという間の20年間でした。誕生日も1月だったので、その日は主人とも「お疲れ様でした」と声を掛け合いました。次男の卒業式はコロナのこともあり心配しましたが、夫婦2人で参列し、「明るく楽しい家族の中で生活できてうれしいし、おいしいご飯を食べさせてくれてありがとう」という次男らしい優しくユーモアのある内容の手紙を卒業式でもらいました。2年生の時から定期的に腕相撲をし、母親の強さを感じさせていたのですが、卒業式の前日に負けてしまいました。5年生で身長を抜かれ、今は172センチとなった息子に負けたのは仕方ないのかなぁと思っていますが、とても悔しかったです。障害を持つ子の子育ては全く想像できず、仕事との両立は大変でしたが、多くの人達から支えられてできたことだったと感謝の気持ちでいっぱいです。次男の子育てでは、健康のありがたさや子育ての楽しさを感じています。次男の友人を通して、その保護者の方と仲良くなり、今では何でも相談し頼れる2人の友人ができました。この友人達とそれぞれの定年時に、お疲れ旅行に行こうと話していたら、次男から「母の定年時は俺が3人の旅行費を出してあげるよ」と声がかかり、それぞれの子供たちも「俺も」と言ってくれた姿が頼もしく見え、うれしかったです。まだ定年は先の話で子供たちがその時まで覚えてくれているかはわりませんが、このことを楽しみに仕事を含め多くのことを頑張っていきたいと思っています。