R3年6月 職員の一言

<R3.6.7> 事務員

私は元々は電子機器のエンジニアだったのですが、病気が原因で仕事に支障が出始め、続けるのが困難になりました。自信があったエンジニアの道を閉ざされ、かなり苦しみました。そんな状態のなか営繕という職種を知りました。営繕とは施設の管理や修繕を行う仕事です。最近流行のリフォームやDIYみたいな事を行います。椅子の足が折れたら新しい足を作ったり、壁に穴が開いたら新しい壁を作って壁紙を貼りなおしたり、とにかく広範囲でした。営繕で就いた最初の職場は福祉施設でしたが、砂場の砂が雨で流れたら盛りなおしたり、季節ごとのイベントの飾りつけをしたり、慣れた頃には動かなくなったグランドの大きな時計も修理していました。電子機器や家電などのミクロな仕事からマクロな仕事になったのですが、やりがいがあり楽しいです。これからも「困った」を解決できる「技術者」でありたいと思います。

<R3.6.14> ケアワーカー

私は三野原病院で勤務をさせて頂いて、もうすぐ1年になります。以前の業種はいろいろですが、長年販売業に携わってきました。この職種は初めてでしたので、私に勤まるのか、迷惑をかけて足手まといになってしまうのではないかと不安でしたが、みなさんが良くして頂いたため、環境にも早くなれることができ、基本的な通常業務は覚えることができました。細かい所はまだまだですが、自分なりにできることを自ら率先して取り組むことを心掛けています。今まで販売業で培ってきた信頼関係を築くことやコミュニケーションの取り方は仕事でも役に立つと考えています。又、私は人の感情には若干敏感な所がありますので、気持ちを読み取ることができると思います。考え過ぎることもありますが、私の長所を活かし精進したいと考えています。しかし、仕事に慣れて注意力が落ち、大きなインシデントを起こしかねませんので、気を引きしめ仕事に取り組み、少しずつですが戦力になれるようしっかり努めたいと思います。

<R3.6.21> 事務員

私は宮崎県出身なのですが、今はコロナの影響でなかなか県外に出かける事もできないので気分だけでも宮﨑に出かけたつもりになっていただけたらと思い宮崎の話をしたいと思います。福岡にも綺麗な海はありますが、宮崎の海は真っ青で透明感もあり深い所までよく見えます。夜は星空がプラネタリウムのようにたくさん輝いています。美味しい物もたくさんあります。宮崎ならではの食べ物としてマンゴーが有名ですが、私は鶏の炭火焼きやチキン南蛮、冷や汁、肉巻きおにぎり、贅沢をするならミヤチクの宮﨑牛ステーキがおすすめです。景色は海沿いはどこも綺麗ですが、フェニックスリゾートシーガイア付近の一ッ葉有料道路や臨海公園はワシントニアパームの木が道路沿いに並び、砂浜からの景色は南国ムードを味わえます。私自身もずいぶんと宮崎の実家には帰れていないのですがコロナが落ち着いたら宮崎のゆったりとした時間を過ごしに行きたいと思っています。

<R3.6.28> 事務員

私には、同じ町内に住む92歳の祖母がいます。入退院を繰り返した時期には、死にたいと口にすることもありましたが、最近では、どうせなら100まで生きる!というようになりました。祖母がこのような思考に切り替える事が出来た要因の一つには、住環境があると思います。祖母の住む地域は、炭鉱閉鎖と共に仲間で移住し同世代が同時期に居住を始めた地域です。そのため、似たような境遇の方が多く住んでいます。今は、リビングでくつろいでいると、小窓から祖母の名前を呼ぶ声が聞こえ、祖母の『上がっていって』の一言から、90代の女子会が始まります。このように、一人暮らしでもご近所同士が、お互いの事を気にかけ元気?最近どう?と語らえる環境があることが祖母の長生きの秘訣となっているような気がしています。人との関係は時に煩わしく心に闇を落とすこともありますが、逆に隣人の言葉で救われることも多々あります。自分の発する言葉を大切に、相手を思う想像力を大切に、寄り添いを大切に私も90歳になっても大好きな友人と笑いながらお茶ができるよう互いの心にエネルギーが生まれるような環境作りを意識し生活したいと思います。