H29年5月 職員の一言

<H29.5.1> 検査技師

5月は旧暦での呼び名である皐月(さつき)は広く浸透しています。この月は、田植えを始める月であることから“さなへつき”と元々呼ばれており、それが短くなって“さつき”という名前になった説が一般的です。現代社会においては、「5月と言えば5月病」とまず思い浮かぶように、3~4月に移動を経験した人が新しい環境に適応することが出来ず精神的に沈んでしまい、特にゴールデンウィークからの連休明けにそれは顕著となり、ひどいときには医学的な治療を要するので気をつけましょう。5月に生まれた人の特徴は、打たれ強い精神的な芯を持っている傾向にあるようです。周囲を支えようと奮起する意識が出ており、信頼度が高くそれに応えようとするタイプです。しかしながら残念なことに、気持ちだけが先走って成功率は低い結果となる場面が多々見られたそうです。誰かしらのサポート受けることで、成功へ近付くことができるようです。ただし、自分の中である程度、完結や解決に近づかないと人には話さない秘密主義的なところがあるので、これは5月生まれの人自身で意識を変えていく必要があります。また、往々にして失敗の元となるのが、新しいものや限定と名の付くものに弱いところ。充分に物事や未来を見極めて行動を取らなければ、いずれ取り返しのつかない大きなミスや人との縁が切れてしまう事態を招きかねないようです。全般的な5月生まれの特徴なので、細かく日にち別の特徴も載っていたので気になる方は調べてはいかがでしょうか。

<H29.5.8> 理学療法士

皆さんは、お父さんとお風呂に入った記憶はおありでしょうか。うちには小学4年の息子と1年の娘がいますがお風呂に入れるのは、専ら私の仕事で出来る限り一緒に入っています。このごろ一緒にお風呂に入ることが子供の発達に影響を与えるという報告が化粧品メーカーの資生堂から発表されました。普段忙しくて子供と深く向き合えない親でもお風呂では子供と1対1で話し合い、普段なかなかできない会話もできる等のコミュニケーションをとる上で大切な時間帯であるそうです。資生堂が行った調査結果の一例では、お父さんと一緒に入っている子供の70.4%がお父さんに隠し事がないと回答、一方で一緒に入らない子供は48.5%にとどまりました。また、「お父さんのことをだらしない」と思っている女の子でもお風呂に一緒に入っている人は、95.5%がお父さんのことが好き「尊敬している」と思っている子が多いそうです。これだけではなく。お父さんと一緒に入ることで「礼儀正しい」「友達が多い」「家族にやさしい」「思いやりがある」等の好影響があることが分かったということです。私が子供とお風呂で話す内容は本当にたわいも無い話から子供が大好きな戦国武将の話、時にはコアな時事問題、患者さんから直接聞いた戦争の体験談等様々です。そういったコミュニケーション手段の場は親子の絆を深める場であると同時に相手のことを知る場であり相手のことを尊重しあえる場でもあります。話は変わりますが、習慣的にコミュニケーションを図るという意味では職場でも同様のことが言えると思います。コミュニケーションの場さえ違えども部署間のこと、職員間のことそして何よりも患者のことを知り尊重することは相互理解を深め無用な誤解やトラブルを減らしより良い職場環境や接遇向上へとつながっていくのではないかと思いました。そう簡単なことではないでしょうがまずは家族とのコミュニケーションの時間を少しでも多く持ち大切にしていきたいと思いました。

<H29.5.15> 看護師

私は、今月で定年を迎えることになり、振り返ると三野原病院と共に歩んだ人生だったと感じています。思い返せば、27歳で免許も無く入職し、ここから学校に通い、準看・正看を取得し30年以上勤めることが出来ました。私の人生は三野原病院と共に歩んできたと言っても過言ではありません。その間、結婚をし、子供を授かり、息子は学校を卒業し、巣立って行きました。三野原病院に生活の基盤を支えて頂いたと思っています。また、今日まで皆さんの支えがあり、助けがあって定年が迎えられたことを大変嬉しく思い、感謝しています。今後ももう少し勤務しますので、みなさん宜しくお願い致します。

<H29.5.22> 看護師

最近、5歳になった長男に補助付き自転車を誕生日プレゼントに購入しました。本人は大変嬉しくて、練習したいと毎日言っています。私は車を運転しますので、よく自転車の急な飛び出しを見てきました。ぶつかりそうになった事もあります。スピードが出ている車に煽られて危険な所もみました。そんな時、息子と「危ないね」と話しをしていたので、今後は自転車の危険性について一緒に考えていけたら良いなと思います。

<H29.5.29> 事務員

私事なんですが、2年前にそれまで大きな病気はした事がない父が突然アミロイドーシスという難病にかかり診断された時にはかなり進行していた状態で2ヶ月後に亡くなりました。それから実家には母が一人になってしまい、私の主人の好意もあって、年1回は母と旅行に行くようになりました。『孝行したい時分に親はなし』ということわざのように父にできなかった分、母と主人の両親にこれから少しでも何かできる事をしていければと思います。